「‥Philter。媚薬?何でこんなもんが‥」

 さらに救急箱を探ると、媚薬の入った容器とよく似た容器があった。どうやら、こちらが本物の食欲促進剤らしい。中身がだいぶ少なくなっている。

――前に薬調達したとき、間違えたのか?

 以前、救急箱を開けたときに、傷薬と包帯、例の食欲促進剤が足りなくなってきたと気付き、近くの小さな薬屋で調達したのだ。促進剤だけがなかなか見つからずに手こずっていると、背の高い女性がネズミの横を歩いていった。彼女の手には、自分が探している薬の容器が握られていた。女性が通った道を辿ると、果たして、食欲促進剤を見つけたのだ。急いでいたため、薬の名前も確認せずに会計を済ませてしまった。
 ‥そして現在に至る。

「参ったな‥」

 ネズミは心底困ったように頭を掻いた。病人に食欲促進剤ではなく、性欲促進剤を飲ませてしまったのだ。どうすることもできない。
 ちらっと紫苑の方を見る。
 ‥生まれたての赤子のように滑らかな頬。軽く閉ざされた薄い瞼と、透き通るような白銀の長い睫毛。半開きのまま薄紅色に染まった、女性のもののように柔らかそうな唇。上下する胸は、熱に悶えながら、熱く艶っぽい呼吸を繰り返していた。
 流石のネズミも、思わず見とれてしまう。

「ネズ‥ミ‥」

 ふと、紫苑がネズミを呼んだ。
 甘い声色に少しどぎまぎしてしまう。薬が回ってきているのか、声にまで色艶が見受けられる。
 内心彼に見とれて取り乱してしまっていることを勘づかれないように、ネズミは出来る限りの平常心を保ちながら返事をした。

「な、なんだ?」
「‥‥こっち‥、来て‥」

 吐息混じりに発せられる少年の声に、ネズミは素直に答えた。彼の寝ているベッドに腰掛け、軽く頭を撫でてやる。紫苑は荒い呼吸を続けながらも、気持ち良さそうに目を細めた。

「‥ネズミ。」
「ん?」
「さみしい。」
「‥は?」
「ぎゅってして。」
「紫苑‥?」
「‥お願い。ぎゅって‥して」
「‥‥‥っ‥」

 紫苑からの要求を、ネズミは仕方なく受け入れた。両手をついて、彼の上に覆い被さるように、その身体を優しく包み込む。首もとに、紫苑の息を感じた。温かい。吐息も、小さな身体も、心も。紫苑は、春の日のぬくもりに似ている。ネズミはそう感じた。

「‥初めて会った夜も、こんな風に‥身体をくっつけ合ってたね。」
「そうだな‥」

 二人は、あの嵐の夜の出来事を思い出した。
 あの日、あの時、あの瞬間から、紫苑とネズミの運命の歯車が回り出していたのだ。
 その忘れ難い思い出。互いの体温を分かち合いながら、互いにやすらかな眠りについた。人の本当のぬくもりを知った夜。
 まるであの日のよう。二人は今、そう感じていた。

「温かい‥。ネズミって、こんなに‥暖かかったんだ‥」
「‥紫苑も、温かい。」
「うん‥」

 紫苑の細い腕がネズミの背中に回される。ほとんど力が入らないが、身体全部を使ってネズミを受け止めようとしていた。
 ネズミもまた、自分よりも小さな少年を包み込もうと、更に密着する。
 その動きを感じると、不意に紫苑の手がゆっくりと動き出し、ネズミの腰を掴んだ。本当に唐突に、だが、迷いのない動きだった。

「紫苑?」

 嫌な予感がした。
 自分を見つめる赤い目が、まるで親にすがる子供のように潤んでいる。ひどく、色っぽかった。

「ネズミ‥」

 とうとう薬が完全に回ってきたようだ。
 薔薇に似た甘い甘い吐息が、湿り気を伴いながらゆっくりと紫苑の小さな口から吐き出された。
 紫苑は今、どうしようもなく昂る若い衝動に戸惑い、困惑している。こんな感情は初めてだった。人に触れたい、触れられたい。下半身が疼いた。身体の中心で渦巻く、魅惑の火種がもどかしいほどに燻って、いてもたってもいられない。この複雑な感情を、どうにかしてほしい。
 涙で潤んだ瞳でネズミに訴えた。
 その訴えに、ネズミは困ったように頭を振った。
 こんな官能的な目を見るのは初めてだ。こっちまでその気にさせてしまうような、妖艶な瞳。勘弁してくれ。そんな目で見つめられたら、初心者相手に手加減できる保証がなくなっちまう。‥でも、それもいいかもしれない。案外いたぶるってのも、悪くないかも。逆にそっちの方が性に合ってる気がする。
 互いに思考を巡らせること、約3秒。紫苑の甘美な訴えに、ネズミは答えることにした。
 彼なりのやり方で‥

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