「アミさあん、ヤバいよォー」
 赤い襟のセーラーを着たやや茶色がかった髪の少女が、もう一人の少女に駆け寄ってきた。
「どーした、レイ。発情期のネコみたいな声出して。」
 アミさんと呼ばれた少女は、読みかけの分厚い参考書から、セーラーの少女、レイに視線を移した。
 レイはミルクをねだる子猫のようにうるうるした瞳でアミを見つめながら、彼女の肩に抱きついた。
「そー。わたし発情期みたいなんだよォー。アミさん見てると、なんだかムラムラするんだよォー。」
「え。」
 人間に発情期なんかあるのか。アミは思った。その前に、私を見てムラムラするってどういう事だ。お前は男か。心のなかでつっこんでおいた。
「アミさあん。」
「なんだ?」
 一呼吸置いて、レイがあの子猫の目でアミに詰め寄った。
「チューしたい。」
「は?」
 突然のキスのお誘いに、アミはただただびっくりした。しかし、当の本人は、いたって本気である。目だけでなく、顔までキラキラ輝いていた。
「いい?チューしていい?」
「ちょ‥」
 アミの返答も聞かずに、レイは顔を近付かせてくる。
「ちょっと待て!」
「へぶっ」
 レイの顔を思いっきり左手で押し戻し、アミは彼女の理不尽な行動を制した。
「アミさん‥」
 潰れそうになった鼻をさすりながら、レイは相変わらずうるうるの瞳でアミを見ていた。
「お前な‥」
 喘息持ちのアミは、少し息を弾ませながら立ち上がった。
「発情期だからって、誰彼構わずキスをせがむのは、人間として最低だぞ!」
 一瞬、レイの表情が固まった。
「普通、キスだってそれ以上の事だって、お互いに好きな人同士でやるものだ。人間には各々キモチがある。行動するのは、それをちゃんと伝えてからだ。」
 弾んだ呼吸を整え、アミは確認するようにレイの前にしゃがみこみ、彼女の顔を覗いた。
「‥わかったか?」
 レイはこくん、と、頷いた。
「‥アミさんの言うこと、当たってる。わたし、間違ってた。‥ごめんなさい。」
 彼女の答えを聞き、ほっと溜め息をついたアミだったが、レイの顔を見て少し驚いた。うつむき加減の彼女の顔には、涙が溜まっていたのだ。
 レイは慌てて、咄嗟に力説しだした。
「でもね、『誰彼構わず』なんて、絶対しないよ!アミさんだから‥っ」
 思わぬ反応に、アミはたじろぎ、聞き返した。
「私‥、だから‥?」
「アミさん‥だか‥ら‥」
 レイは口をまごつかせる。
「あ、アミさんだから、したいって‥思った。アミさんだから、キス‥したいって‥」
「え‥」
 再びレイはうつむきながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「アミさん見てると、変なキモチ‥。心臓が、壊れそうになるほど、バクバクする‥。」
「‥‥」
「泣きたいくらい、胸が苦しい。」
 顔を上げた瞬間、レイの大きな瞳から大粒の涙がポロポロと流れていった。
 アミは目を見開き、彼女を凝視した。レイは予想外の出来事にあたふた。
「あ。わ。え。なんで?」
 レイがあわあわと状況を理解しようとしている間にも、涙はポロポロポロポロ。止まらなかった。
『天然‥』
 アミは心の中で呟く。
「止まらないよォー‥」
 しまいには、小さな子供のように泣き出してしまった。これには流石のアミも折れ、頭を掻きながらティッシュを取りに立ち上がった。
「ほら、チーンして。チーン。」
「ちーっ」
 暫く鼻をかみつづけるレイだった。

「泣き止んだか?」
 優しいハスキートーンの声に呼ばれ、レイは目を覚ました。いつの間にか、ソファーで眠ってしまっていたらしい。
 隣にアミが腰かける。急に胸が苦しくなって、レイは自分の肩を抱き締めた。その行動に、アミは不思議そうな顔をした。
「どうした?」
「苦しいから‥、抱き締めてるの。自分の事‥。」
 切なくなるような悲しく小さな声で呟くレイに、アミは無言で手を差し伸べた。そっと、彼女の身体を自分の方に抱き寄せる。
「!」
 ビクッと、レイの肩が揺れた。
 恐る恐るアミの顔を見上げると、アミは正面を向いたままだった。
「アミさ‥」
「そんな時は、私に言え。」
 柔らかく、力強い口調で、アミはレイに言い聞かせた。
「一人で抱え込むな。私がちゃんと、抱き締めてやる。」
 アミの言葉に、レイは堪えきれなくなって、隣にいる彼女を思いっきり抱き締めた。
「じゃあ、もっとぎゅーってして!」
「お」
 子供っぽい反応に、苦笑しるアミ。
「フフフッ。甘えん坊め。」
「いいのっ!」
 アミは優しくレイを包み込んだ。
「アミさんにくっついてると、すごく、安心するの‥」
 気持ち良さそうに目を細め、アミに顔をすりよせる。まるで本物のネコみたいだ。
「私もだよ。」
 アミもレイの頭に顔を埋めた。

 ‥レイの言葉は、単純で素直だ。
 でも、単純だからこそ、とても意味が深い。
 その言葉につまった彼女のキモチを、私はわかってあげたい。
 こんなに素直な子を、傷付けたくない。
 この子を、‥愛しているから‥。
 だから私は、強くあろう。
 この子を、守れるように。

 レイの額に口づけて、アミは彼女の隣で浅い眠りに就いた。


 おわり

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